最新科学スピリチャル研究所

日本の精神世界を探求していきます。

「我がまま」な人ほど最悪な事はありません。仏教的に言うとそれは、悪因悪果です。我を張り通し続けるとそのうち(自分は悪くないのに)「自分の思い通りにいかないという気持ち」その矛盾を原因として、うつ病へと発展しかねません。

スピリチャル好きは、なぜお釈迦様が好きなのか?ブッダの説かれたことに一番近いと言われる「初期仏教」は、スピリチャル(=インドの宗教哲学)(当時はバラモン教)に対抗し、起こした真逆思想なのになぜ?という疑問。

不幸に思う根本原因は、不平不満の根本原因は、「自分の思うがままにならない事」自分の思うがままとは=我がのまま=「我がまま」では駄目なのです。

弱そうに見えても強そうに見えても「我の強い人って居ます」些細なことを嫌う人の事です。ほんの些細な事でも「自分の思い通りにならないと怒り」我を通す。それでは駄目です。それは、あなたの「我がまま」です。「我がまま」な人ほど最悪な事はありません。仏教的に言うとそれは、悪因悪果です。我を張り通し続けるとそのうち(自分は悪くないのに)「自分の思い通りにいかないという気持ち」その矛盾を原因として、うつ病へと発展しかねません。「より不幸な問題は、特に弱そうにみえて我の強い人」です。強い人は強情を張りその場を切り抜けますが(後に自分に跳ね返ってきます)同じ境遇でも。弱い人は色々と徐々にこじらせていきます。そういう人は「弱そうに見えても絶対に自分の我を通そうとします」世間では「悲劇のヒロインさん」と言うそうです。「何事にも受け身で動かずに自分は悪くないという傲慢さ」それはまさに「我を通している」という事なのです。自分には非がないという自覚が無い分(勿論完全に外部が悪い場合も多々あります。それを除いての話)悪いのは全て自分以外という認識。つまり健全な目で自分の弱さを見れずに、「私は純粋で綺麗な心を持っている優しい人なのに。ヒロインの私はなぜ不幸」と自助努力をしない方向にいくと、実に厄介です。おわかりでしょうか。世界は自分を中心に回っている。完全に自己中(自我中)中二病。つまり本当の事を仏教的に言うと初期うつ病の根本原因は、「弱いフリした傲慢」です。ピュアな私の世界観とは違うものは、嘘だし〜絶対に受け入れないから〜私不幸〜。←傍から見ると可哀想ですが、ただのワガママという事実上の傲慢でしかない。実は、初期うつ病の原因の一つは、自覚の無い弱いフリしたワガママという傲慢です。

医学的にうつの根本原因は、不幸(アンハッピーな状態)が続くとセロトニンが徐々に不足していき分泌されにくくなると言われています。「我がまま、そのままの自分」ではなく臨機応変に、やはり自分も状況に合わせて変わる術(すべ)を学び自ら対応していかなくてはなりません。これこそ初期仏教の最初の教えになります。

長い前置きはこのくらいで。ようやく本題に入ります、解決しますよ!(笑)

かけがえの無いあなたは「あるがままのそのままで唯一無二の至高の存在」というのがだいたいどこででも言われているスピリチャルの王道のような主張です。スピリチャルでは「執着を手放そう」とも強く主張しますが、「自分は自分のままで良い」と「執着する気持ちを手放すこと」は完全に相反する概念です。つまり実現不可。スピリチャルはつぎはぎだらけなので仕方がないのかもしれませんが。

一方で、リアリスト釈尊は「縁起・空の思想」を説きました。「現実をきちんと見なさい」かけがえの無いあなたは存在しません。あるがままのそのままで唯一無二のものはこの世にはありません。至高の存在もありません。無い物は無いので、どこをさがしても見つかるはずはありません。アートマンブラフマンの否定」

初期仏教は、「非常にリアリストゆえの血も涙もない教え」ではありません。悩みの内にあって悩まない。その抜苦与楽の仏教の教えを解説していきます。

インドで仏教が生まれる以前に勢力を誇っていたバラモン教。それに対抗する形で仏教を起こしたのがブッタです。その初期仏教を特徴づける三つの真理を「三法印」と言います。諸行無常諸法無我涅槃寂静。この三法印に、「一切皆苦」を加えて四法印(しほういん)と呼ぶこともあります。

ブッタは、縁起を発見した人です。縁起とは、因縁生起のことです。他との関係が縁となって生起すること。自己や仏を含む一切の存在は縁起によって成立しており、したがってそれ自身の本性、本質または実体といったものは存在せず、空である。と説かれます。万物相互依存と解釈するとわかり易いです。

因縁生起(縁起)がわかると、諸行無常がよくわかる。諸行無常とは、この現実の世界のあらゆる事物は,種々の直接的・間接的原因や条件によってつくりだされたもので、絶えず変化し続け、決して永遠のものではないということ。

諸行無常がわかると諸法無我がよくわかる。諸法無我とは、あらゆる事物には、永遠・不変な本性である我(が)がないということ。人間も同じで自我というものは存在しないという事。自我があると思っているのが人間。

諸法無我がわかると、涅槃寂静がよくわかる。涅槃寂静とは、悟りが絶対の静けさであること。自我があると思っているのが人間。しかし、自我という本質はない。つまり自我がない事を悟るのが、修行の到達点=「無我の境地」涅槃寂静です。

この三つの教えがわかると「一切皆苦」がよくわかる。一切皆苦とは、この世界のすべてが、結局はすべて苦であるということ。この現実世界はすべて苦であり、その苦の原因は人が本能的にもつ欲望である。欲望を制御することがそのまま、苦をなくすことであり、悟り「涅槃寂静」である。

本能的に、人は「諸行無常」を嫌います。人は、「諸法無我」を嫌います。これにより、この世は苦であるという真理が説かれます。その苦を滅することで、悟りに到達するのが菩薩道です。初期仏教のほんの一部を紹介しましたが、今日はこの辺で。より直接ブッタの言葉に触れたい場合には、下記をおすすめ致します。

初期仏教が良くわかるブッタの言葉。
YouTubeで繰り返し聞くと良いと思います。

ブッダの真理の言葉 第1章~第26章 通読
https://www.youtube.com/watch?v=cQ0Wp_yT3hQ

ブッダの感興の言葉 通読その1 第1章~第11章 
https://www.youtube.com/watch?v=UEjNlx3T0fo

ブッダの感興の言葉 通読その2 第12章~第22章 
https://www.youtube.com/watch?v=_1QLcx4dGpY

ブッダの言葉・スッタニパータ 第一 蛇の章 1~12
https://www.youtube.com/watch?v=F1d7GMocWOw&t=3214s

ブッダの言葉・スッタニパータ 第二 小なる章 1~14
https://www.youtube.com/watch?v=WkuwXGyE9Ck

寂静禅経 全巻 朗読
https://www.youtube.com/watch?v=Ruzln5iWVec